ブログをこうやって書いていると、幸せそうに見えるじゃないですか?世の中にはたくさんのブロガーがいると思いますが、
どんなブログにも「キラキラした感じ」はあると思うんですね。
でも、これは本当に持論でしかないのだけれど、少しくらい不幸じゃないとブログなんて書けないのかな?なんて思うのです。
何も上手い文章を書かなくても良い。ブログにおいて文章力なんて一番重要なものではないから、別にそんなものはどちらでも良い。
ただ、少しくらい不幸を背負っていないと、ブログなんて続ける事が出来ない、とは思うのです。
世の中に疑問を持つ事が出来なくなる
ブログというものは種類にもよりますが、基本的には「自分の意見」を発表する場だと思っています。
社会で起こっている事について、会社で起こっている事について、友人間で起こっている事について。
様々な事について書いていくと思うのですが、自分の意見を書く時には「少し不幸な状態」じゃないと、きっと書いていけないような気がする。
少なくとも、誰かの心に届く文章は書けないと思うのです。「暗い人が好き」と言っているわけではありません。
そうじゃなくて、どこか不幸である事が、ブログのモチベーション、書く意味になっているような気がするのです。
「幸せでしょうがない」
そんな状態が私たちが人生において求める「到着地点」でしょう。でも、本当に何もかも幸せになってしまったら、私たちブロガーというものは「何かを伝える」という事が出来なくなってしまうような気がするのです。
幸せになりたい、そんな感情は誰もが持っているもの。ブロガーだって同じですよ。「隣の誰か」と同じように、誰かと等しく幸せになりたい。
記事でも「読者にはなるべく幸せになって欲しい」と思って、そんな気持ちを込めています。
でも、少しだけ不幸なくらいが、ブログを書く上では大切なんですよ。少しくらい不幸で、不幸が少しだけ身体から滲み出てしまうくらいの方が、何だか私たちはモノを伝えられるような気がする。
完璧な幸せに創造はないのかな。
ブロガーが体験した「不幸」が誰かにとっての光となる
「不幸な事は良くない事だ」
そんな事は当たり前の事ですよね。ブログを書いている側であるブロガーにとっても「不幸」なんて良いものではありません。
でも、少しくらい不幸な経験を持っているだけで、ブロガーは「不幸な経験」を記事に変える事が出来るのです。
どんなに幸せな人でも、私たちは人生のどこかのタイミングで「不幸な体験」をしてしまうものです。それは私のように「親の死」かもしれないし、
「パートナーとの別れ」かもしれない、「リストラ」かもしれない。
人生のどこかで、そういった不幸な体験をしてしまうのが私たち人間なのです。でも、もしも、「不幸な体験について書かれた記事」があったらどうだろう?
少ないかもしれないけど、誰かを救える時だってあると思うのです。東京を細かく案内してくれるようなガイドブックはたくさんあるけど、
「人生のガイドブック」はどこにも存在しません。
でも、ブログの記事単位では、「人生のガイドブック」のようなものにはなれるのではないか?と思ったのです。私という人間は完璧ではないし、誰かを導けるだけの力はない。
ただ、1つ1つの記事だったら、もしかすると誰かを救うかもしれないじゃないですか。
幸せな体験は人を幸せにする。でも、不幸な人を救う事は出来ないんじゃないかな?って思うのです。
人間、苦しい時は一人でひっそりと泣いたり、スマホ片手に「苦しいよ・・・」と声にならない表現をするのだと思うんですよね。
そんな時に「不幸を経験したブログ」があったら、それはそれで誰かを救えるんじゃないか?と思うのです。
不幸なだけのブログじゃ意味がないけれど、そこに「それでも私は生きたよ」という一言があるだけで、きっと誰かの力になれるような気がしているのです。
何でもない一言かもしれないけれど、私はそんな名前を知らないどこかの誰かのブログに助けられたからさ。うん。
だからこそ、少しくらい不幸な経験をしていないと、ブログなんて書けないものなんですよ。
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やっぱり伝える事が好きなんだ
少しくらい不幸じゃないとブログって書けないものです。でも、不幸な事を経験した人の多くは「思い出したくないから書きたくない」と思って、
ブログに書いたりとか、ツイッターで書いたりする事はないわけですよ。
でも、やっぱり私は「伝える事」が好きだと思うし、不幸な経験を書く事によって、いつの日か、きっと誰かの「希望」になると思う。
だからこそ、これからも書き続けたいのです。別に「全ての人に理解されたい」とか「この考えじゃなければダメだ」なんて傲慢な事を言っているわけではありません。
そんな欲もありません。
伝える事によって、一人でも「このブログで心が楽になった」とか「前向きに生きていけるようになった」なんて人が増えたら良いな、と思って書いているのです。
ツイッターとか、peingとかでも、たまにコメントが来ていたりするんですけど、実は結構読んでいますよん。
これから先、不幸な事が起こってしまったとしても、私は記事にしていきたいと思うし、ブログを続けていきたいと思う。
少しくらい不幸じゃないとブログを書けないなんて「悲しいね」なんて思うかもしれない。
でも、それでも良いのです。少し不幸なくらいじゃないと、「何かを伝えたい」なんて強烈な感情は生まれてこないのですから。
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