皆さんにも孤独な瞬間ってあるんじゃないかな?って思うんですよね。どんなに明るい人でも、人の命が有限である限り、
どこかで孤独を感じてしまうものです。私は生きてきて、孤独なんて感じない人だと思っていた。別に何かに不自由した事もなかったし、
何かに苦労したわけでもなかった。
確かに、病気で苦しい時とかはあったけど、それでも孤独を感じたわけではなかった。孤独に強くて、孤独なんて何でもないや、くらいに思っていた。
でも、どんな人でも孤独は感じるものなんですよ。人生におけるどこかのタイミングでね。
頼る人が誰もいなかったあの時
この話は度々していると思いますが、私は大学生の時に父を失っています。経営者であった父が亡くなった時には、「この後どうなってしまうのだろうか?」と思ったものですが、
それ以上に辛かったのが、「頼る人が誰もいなかった事」なんですよね。本当に誰もいなかった。
大切な友人がいたから、友人にだけは頼る事が出来た。でも、会社の事だったり、お金の事だったり、自分の精神的な部分だったり、
何かよくわからないのですが、父が亡くなった当時は本当の意味での「孤独感」があったんですよね。本当に孤独だった。心の底から孤独だった。
何とも言えない悲しさや寂しさみたいなものがあった。わかる人、いるかな?
頼る人が誰もいないってどんな状況だろうか?と考えた事はありますか?自分の声がどんどん小さくなっていくようなそんな感じ。
どんどん消えていってしまう。
自分の声が世界のどこにも届かなくなってしまうのだろうか?そんな風にも思っていました。
頼る人なんて誰もいなくても、生きていく事は出来ますよ。私だって、その時には辛いと思っていたけれど、それでも生きていた。
どんな状況でも、生きていたかった。
それが父との約束でもあったような気がしたから。でも、それでも誰にも頼る事が出来ない、そんな日々は辛く、悲しいものだったのです。
当時大学生だった私は会社経営もしていましたが、大学にも通っていました。浪人してまで入った大学だったから、どうにか卒業だけはしたかったのです。お金なんて全然なかったけどね。
借金の返済ばかりだったから。笑
父が亡くなった時はちょうど「期末試験」だったのですが、全ての単位を取ったのを今でも覚えています。自分で褒めるのは何だけど、凄いよね。
でも、どんな偉い事をしても、誰からも褒められる事はない。母は生きていたけれど、息子の事に構っていられるような状態ではありませんでした。
そりゃそうですよね。自分のパートナーが死んでしまったのだから。
毎日家に帰れば泣いている母。
そんな中、私の心の中の「孤独」だけが静かに広がっていくだけだったのです。
頼っていないつもりで誰かに支えられているもの
私たちは日常生活において「寂しい」と感じる事はあっても、「孤独だな…」と感じる事は少ないと思うんですよね。でも、それは「頼っていないつまりでも、誰かに支えられているから」なんですよ。
自分では一人で生きていると思っている。きっとそんな人が多いでしょう。
でも、本当は親だったり、兄弟だったり、そんな存在に愛されていると思うのです。だから、孤独を感じる事なんて日常生活ではないのです。
ただ、人間は生きては死んでいく生物です。私なんて「つい最近生まれてきたのに」といつも思っているのですが、
それでも、いつかは死んでしまうもの。そして、先に死ぬのはだいたい自分ではなく、自分にとって大切だと思っている人だったりする。
特に親は多くの場合、自分より先に死んでしまう事が多いのです。だからこそ、皆さんもどこかで「孤独」を体験する事はあるのですよ。
絶対にね。
だから、いつかやってくる孤独を避ける事は出来ない。迫り来る壁からは逃れられないのです。
でも、そんな時こそ「先に孤独を経験した人」がネット上だけでもいたら嬉しいじゃないですか?だから、今、私はこうやって記事を書いているのです。
別に私がブロガーじゃなかったら、こういう場で私が感じたことなんて何も書かなかったのかもしれない。けど、私はブロガーで、こういう経験を書くことによって誰かの気持ちが楽になることがあるような気がするからさ。
だから、誰もがいつかは抱える孤独について書いているのです。
孤独は人の心を細くしてしまう時だってある。だから、「もう生きていても何の意味もないのかな…」なんて考えてしまう人だっているよね。
でも、そんな時にこの記事を読みにきてくれれば良いな。先に経験した人がここにもいたんだ、と思えたら良いもんね。楽になれるもんね。
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それでも生き続けようよ
父が亡くなってからどこかで自分の心の中に潜む「孤独」と闘ってきたような気がする。水の入っていないガラス瓶のように、一見綺麗に見えるけど、
叩いてみると、中身は空っぽ。そんな孤独な人生の中で生きてきたように思う。あの当時、私は一人で街を歩く事が好きでした。
孤独な人生の中で「誰でもない自分」になれるような気がしたから。本当に何もかもから隠れられるような気がした。目眩がするような現実から目をそらせるような気がした。
それまで「嫌いなもの」だった街の中で私は安心したのです。
知らない人たちが行き来する街の中で、私の事等知りもしない人たちが笑い、悲しみ、怒る。そんな炎のような感情のゆらめきが私にとっては温かかった。
生きている感じがした。
もうあんな孤独を経験する事なんて考えたくもないけど、きっとまたどこかで同じように悲しむのでしょう。
そんな時は、またどこかの街で「知らない誰か」になろうと思う。
街の喧騒に、私は今でも救われているのかもしれない。名前の知らない誰かの声に支えられて。
当たり前に孤独な人生で、それでも生きていこうと思う。だから、どんなに孤独な人生を歩んでいたとしても、生きて欲しい。
生きていれば、必ず幸せになれる。そう思うよ。読んでくれてありがとね。生きようね。あんまり頑張らずに生きていようね。どんな人生でも。
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