人生は長いものだと思っている人もたくさんいると思いますが、本当はそんなことないと思うんですよね。
私たちは自分たちが思っているほど時間の流れを意識することが出来ません。昨日は寒いと思っていたのに気が付くと夏になっていたり,
暑いと思っていたのに冬になっていたりとかそんな事って実は当たり前にあると思うんです。
目まぐるしく過ぎていく時間の中で私たちは過ごしているのです。
だからこそ、人生が短いということを感じることができないのです。でも、本当は人生なんて短いものなんですよ。
人生が長いと思っている人があまりにも多い
これは私が周りの人達と話していて思うことなのですが、人生が長いと思っている人が非常に多いと感じています。
例えばサラリーマンなんか良い例です。
入社してすぐの頃は対して大きな仕事を任せてもらえませんが、2年間我慢するとある程度大きな仕事を任せてもらうようになります。
それまでは上司から言われたことをそのままこなすことだけしかできず、何のために働いているのか?ということすらも実感できないまま働いていると思うのです。
でも多くの人はこの時期を我慢しています。なぜでしょうか?
それは人生が長いと思っているからなのです。
もしも人生が短いと思っているのであれば、そういった時間でさえももったいなく思うはずですからね。私は思いました。
「なんでこんなつらい状態を我慢しなければならないんだ?てか、我慢して何になるんだ?」と思って辞めましたから。凄い倍率の中、就職したのにね。
周りからも「頭のネジがどっかいっちゃってるよ」なんて言われました。それくらい超大企業だったし、優良企業だった。でも、私には耐えることができなかったんですよね。
人生が長いと思っているからこそ、 つまらない仕事にも耐えることができるのです。
また、他の事に関しても同じことが言えます。
やりたいことがあるという人はたくさんいると思いますが、それを実際に実行している人がどの程度いるのかと言うと、実はほとんどいないと思うんですよね。
皆さんも仲間を家で飲んでいる時にあれをやりたいだとかこれをやりたいという話を聞いたりとか言ったりすることがあると思うんです。
でもそれが実際に実行されるのかと言うとそうではありませんよね?やりたいことがたくさんあってもそれを実行せず、
ただアイデアだけを持っていることが多いのです。おじいさんになった時にでも、「ワシはな、本当は良いアイデアがあったんじゃ」みたいなことを孫に言うのかね。
凄くダサくないですか?
これも人生が短いものだということを認識していれば、すぐにでも実行するものだと思うのです。
人生が長いと思っている人は本当に多いです。いつかやればいいや、そのうちできるだろう。
老後はこう言った生活がしたい。いつかそうなってみたい。
そういう話ばかりで実際に実行されることはないのです。人生が長いと思うことは悪いことではないかもしれません。
しかし、人生が長いものだと思っていると、短いものだという認識がないままだと、何も実行しない人生になってしまう可能性があるのです。
みんなさ、来るかもわからない未来に投資しすぎだよ。頑張るべきなのは未来じゃなくて今なのに。
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私の父の話
私の父は私がまだ大学生の頃に亡くなってしまいました。私はそれまで人生は長いものだと思っていました。
人間の寿命ってまあだいたい80歳とか、そこらへんじゃないですか。健康寿命はもっと短いけれど、基本的には日本で生きている限り、結構生きられる。
だから、「俺って早く死ぬな」なんて思ったことがなかった。
しかし、父が亡くなったその瞬間に「あれ?人生ってこんなにも早く終わってしまうの?」と思ったのです。
「死」というものが急に怖くなってきた。自分とは関係のないことだと思っていたのに、父が亡くなってしまってからは妙にリアルなものになった。
人生は短いものであるなんて全くをもっていなかった私ですが、父が亡くなったことによって人生の短さというものを改めて知ることになりました。
人間なんていつまで生きることができるのか?いつ死ぬのか?なんてことは知ることができません。もしかしたら明日死んでしまうかもしれません、百年後も生きているかもしれません。
ただ、私の父の死から考えたことは「人間はいつ死んでもおかしくないのだ」ということだった。
人生なんて本当は短くて儚いものです。それを理解する事って難しいんですよね。身近な人が亡くなってしまったりだとか、大切な人が目の前からいなくなったり、
そういう辛いことがないとどうしても 人生の短さについて考える事ってないと思うんです。
逆に言えば、死にたくなるくらいの衝撃がないと、人生とか死とか、そういうものについては考えないものです。まあ、人間なんてお馬鹿ですから、そこまで真剣に考えられないように、脳が設計されているんですよ。
でも人間の人生なんて本当にわからないものです。明日やろうと思っていたことがもしかしたら出来なくなってしまうかもしれませんし、
明日にはもうこの世にいないかもしれないのです。私の父が亡くなったのは本当に突然のことでしたから、本当はやりたい事だってまだまだたくさんあったような気もします。
今となってはわからないけどね。私が警察から連絡を受けて会いに行った時には、既に冷たくなっていましたから。泣き叫ぶ母。呆然とする私。妙に冷静な私。
うん、本当に突然で嘘みたいだった。夢みたいだった。
それでも、人生はある時突然終わってしまうものなんですよね。だからこそ、私たちは今を必死に生きていく必要があるのです。
いつ終わるのか?という事がわからないからこそ、私たちはのんびりと毎日を過ごしてしまっています。それは良い事でもありますが、
同時に「何かを実現してみたい」という意欲の減退にも繋がります。
人生が短いものだとわかっていれば、より今過ぎ行くこの時間を精一杯生きていく事が出来ると思っていますし、
自分の人生は目標や目的を達成するために存在すると思うのです。
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節操がないと思われても良いから何でもやってみるべき
これは私が思っている事なんですよね。人生は思っているよりも短いものです。だからこそ、短い人生の中でやりたい事は何でもやってみるべきだと思っているのです。
皆さんの心の中には、いくつかの「将来やってみたい事、何となく興味がある事」が存在していると思います。
しかし、その多くは実行されずに年を取り、そして死んでいくのです。もちろん、そういう人生もまた良いでしょう。
ただ、出来ればそういった「やりたい事」は全て実行していって欲しいと思うのです。やりたい事なら何でも良いのです。
農業をやってみたいと思うのであればやってみたら良いし、インスタグラマーになりたいならやってみれば良い。
このブログを読んで「ブロガーになってみたい」と思うならブロガーになってみれば良い。「節操がないね」と言われ、傷つく事もあるでしょう。
私も言われたことがあります。何も夢を叶えたこともないのに、他人の批判だけはする人に、「節操がないんだよなあ」と言われた。
でも、あいつは何も叶えなかったけど、私はブロガーになった。そういうことなんですよ。
一貫性を求められる今の世の中において「何かよくわからないけど、何でもやっている人」というのは批判されがちです。まあ、ストレス社会だから、何でも批判したくなるよね。
社会からも、まるで、転職を繰り返す若者のように扱われますよね。
でも、そんな事を言っている間に人生は終わってしまうものです。人生は短いのですから、自分のやりたい事は「節操がない」と言われても、
それでもやってみた方が良いのです。人生は暇潰しのために使う時間としては長いでしょう。ただ、何かを成し遂げるための時間としては恐ろしい程に短いものです。
何を成し遂げる人生にしたいのか?やってみたい事は何か?
自分で考えて、今を、この一瞬を精一杯生きていった方が良いのです。
馬鹿な人生を笑いながら走ろうぜ。それが人生ってもんでしょ?
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