良い人だと周りから思われたいひとっていますよね。
そういうひちたちって相手のこと沢山考えているつもりに一見見えますがそれは違います。
実は良い人でいようとするのはただ自分が「良い人」でいることによって嫌われないようにしているだけなのです。
他人から嫌われたい!なんてひとはいません。私も出来るなら好かれていたいものです。
でも、良い人でいることに疲れてしまう瞬間ってあると思うんですよね。
だったらもうそんなことやめてしまえば良いのにな!って思います。良い人装っていると疲れてしまいますよ。
もっと人間的になっても良いんじゃないかな。良い人をやめたい、と思うならそれで良い。
そこまで良い人ではないことを曝け出せ!
完全に良い人なんて存在しない。
人間なんて誰しも汚い部分も持っているものです。疲れているときには誰かになにかしてあげたいなんて気持ちがなくなってしまうものですし、それが当たり前です。
余裕がないと、相手に優しくすることなんてできないんです。わかりやすく言っちゃうとさ、大便がしたくてものすごく我慢している時に、
「大丈夫?何かストレスがあるなら聞くよ」なんてことは言えないのです。汚いけど、そういうことだと思う。
でも、こういった良い人ってそういうところでも我慢して良い人であろうとするのです。例えば誰かが困っていたらその人のために自分を犠牲にしてやってあげたり?
確かにそんなひといたら素晴らしいです。人間的にはなにも文句を言えません。
でもそれで疲れてしまっていませんか?良い人をやめたい、と思ってしまいません?
私の知り合いでも良い人を演じているひとがいました。でもある時いったんですよ
「良い人でいることに疲れた」って……。演じているってことなんですよね、良い人を。
なんで疲れることをわざわざやるんすね?それで好かれてもなんの意味もありませんよ。だって自分がMax頑張った偽りの姿を好きになってもらっているんですから。
別に良い人じゃなくても優しくなくても良いじゃないですか。
だって、そんな演技しなくても好いてくれるひとはいます。むしろ良い人であることをやめると人って意外と集まってくるものですよ。
私たちって優しいひとが好きだと思い込んでいますけど、意外とそうでもないんです。実は裏表のない正直なひとが好きなんです。
人間は疲れる時もあれば不機嫌な時だってある。そうすると良い人でいられないような時だってあるわけです。
それでも我慢して良い人になるのであればもうそれは性分なので仕方のないことですが、家に帰ってきてから表情が弛緩して疲れきってはいませんか?
自分の中で裏表を作っていると最初は良いんですけど、それって結局は疲れてしまうんです。
正直であることによって以前とは友達の反応が異なるかもしれません!でもそれで良いのです。
そんな良いところばっかり見て寄ってくるひとなんて大した友達ではありませんからね笑
良いところ悪いところを認めることが出来て初めて本当の友達なんだと思いますよ!だから私は良い人なんかでない自分を曝け出してしまった方が良いと思います。
むしろそれが本来の姿かもしれないし、曝け出す事によってもしかしたらもっと関係が深くなるかもしれません。
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私も高校生の時には演じていたような気がする
私も高校生くらいの時には、「良い人」というか、何かキャラみたいなものを演じていたような気がするんですよね。
多感な時期でもあるから、仕方がないのかもしれないけど、私は「人からどう思われるのか?」ということばかり気にしていたような気がする。
でも、学校がを終わると、「今日も頑張った」という感じで、疲れが出て来てしまんですよね……。眠ってしまっていたりした。
当時は、「良い人でいることをやめたい」なんて思っていませんでした。ただ、今考えると、だいぶ無理をしていたのかな、と思うんですよね。
良い人でいれば、周りから期待される。期待されれば、やっぱりまた頑張る。そんな状態を「気持ちが良い」と思っている内は好循環。
でも、もしも、「なんとなくつらいな」と思うなら、やめた方が良い。今、高校生当時の私に戻れるのであれば、
「もっと楽に生きなよ」と、伝えると思うもん。
良い人でいる必要なんてないよ。良い人でいて、得をすることはたくさんある。でも、もっと人間的になって良いし、その方が楽なんです。
心を開いて、素直な自分でいないと、心から繋がることのできる友人なんてできないんです。
汚いところも、綺麗なところも、仲間思いなところも、全部見せれば良い。それで嫌われるならそれまで出し、好かれるならラッキー。
そのくらいに思っておけば良いよ。今の人間関係に依存する必要だって本当はないはずだしね。
自分を解放してあげよう。自己という呪縛から。
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自分のための優しさだから疲れてしまう?
良い人でいることは何も悪い事ではありません。悪いのは自分のために優しい良い人を演じてしまうことなんですよ。
「優しい人だって思われたい」とか「嫌われたくない!」って感情を持った優しさって実は優しさでもなんでもないんです。
むしろ自分のことしか考えていない悲しい習慣なんですよ。自分のことしか考えていないから、「良い人をやめたい」と思うわけ。
人間って不思議なもので、自分が本当に大切だと思っているひとのために何かをすることって全然苦にならないものです。
それはもしかしたら恋人かもしれないし親友かもしれない。そういった大切なひとにはいくら時間をかけても疲れないものなんです。
私だって、大好きな人のためだったら、何でもする。命をかけても、守りたいもん。
それが本当の優しさだから。
ここまで書いてきましたが、良い人でいる必要なんて本当にないんです。良い人をやめたいならそれで良い。自分が本当に大切だと思っているひとにだけ優しさを持てば充分なんですよ。
周りの人全員から好かれたいとか良い人でいたい!って感情は自分を疲れさせてしまいます。だったらもうやめても良いと思うんですよね。
やめたらこんなにも楽なのに…笑
今は楽だよ。本当にね。そして、不思議と心から信頼することのできる人が増えたような気がするんだ。
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アドラー心理学を扱った話題作になります。良い人でいる必要なんてないんだという事が本当にわかると思います。
嫌われる勇気というものも必要なんですよ。