インターネットが普及し、SNSを使うのが当たり前になってきた世の中で、
人に嫌われたくない、という感情を強く抱いている人も多くなってきているのではないでしょうか。
簡単に人の悪口をインターネット上で不特定多数に発信できるようになってしまった今、
自分の評価がどこでどんな風にされているのか、ということに敏感になってしまうのも無理ありません。
不用意な発言はすぐに揚げ足を取られて、特に有名じゃない一般の人でも炎上してしまったり
その出来事に直接的に関係ないような人からも怒りの矛先を向けられることがあるような状態です。
しかし、嫌われたくない、という気持ちから行動をしていると
実は嫌われてしまう可能性の方が大きいんですね。
本当に自分の味方でいてくれるような人、信頼できる仲間が欲しいのなら
嫌われたくないと思うのではなく、嫌われてもいい、と開き直って行動してみることが大切なのではないかと思います。
嫌われたくない結果嘘を吐くようになる
多くの人に嫌われたくないと思っていると、自然と八方美人になっていってしまいます。
これの何が怖いか。
それは簡単に小さな嘘を積み重ねることができるような自分になってしまうこと。
これがとても怖いことなのです。
自分の周りの人にはなるべく嫌われたくないと思っている人はどうしても接する相手によって態度を変えてしまうことが多くなるでしょう。
そして目の前にいる人の意見になるべく同調するような形で生きていくことになると思います。
しかしそうやって生きていると、どこかでどうしても齟齬が生まれてくるようになります。
Aさんの言う通りにもBさんの言う通りにもCさんの言う通りにもする、なんてことはできないのです。
なぜなら体も心も一つしか持ち合わせていないからです。
そうするとAさんにもBさんにもCさんにも個別で会っている時はいいかもしれません。
それぞれ態度や接し方を変えることによってそれぞれが好むような人物像に自分を近づけていくことができるでしょう。
しかしAさんとBさんとCさんが一同に会する機会がある場合はどうでしょう?
誰に合わせれば嫌われないのでしょうか?
この場合は誰に合わせても必ず合わせなかった二人から嫌われてしまうでしょう。
なぜならAさんもBさんもCさんもあなたのことを「いつも自分の意見に賛成してくれる人」だと思い込んでいるからです。
いつも賛成してくれるのにそれに背くことがあるようなら嫌われてしまうかもしれません。
多くの人にずっと小さな嘘を吐き続けることは難しいことであり
自分が何か一つのことに意見を決めなくてはいけなくなった時に自分で自分の首を締めることになってしまうのです。
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嫌われたくない人は印象に残らない
嫌われたくないという感情で普段の行動を決めている人は
人の印象に残りにくい、という特徴もあります。
いつでもマジョリティの意見が自分の意見、という風になってしまうと「意見のない人」「個性のない人」と見なされがちなんですね。
そういう人は目立ちません。
イエスマンになってしまいます。
いつでも肯定してくれる都合のいい人になることはできても
「好きな人を思い出してください」という場面では顔を思い浮かべてもらえない。
つまり嫌われないかもしれないけれど好かれることもない人になってしまうんですね。
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嫌われたくないから始まる妄想
嫌われたくない嫌われたくないと考え続けていると
嫌われていないのに被害妄想を抱きやすくなってしまいます。
TwitterなどのSNSが良い例で
ああいったSNSは不特定多数の人へ向けた発信になります。
そういった場で人への文句を名指しせずに曖昧な婉曲表現で投げたりする人が多くいるのですが
そういったツイートにも敏感になってしまって、「これは自分のことなんじゃないだろうか?」と途端に心配になってきてしまうんですね。
疑心暗鬼になってしまうのです。
でもその人としっかりとコミュニケーションをとれていればそんな心配をする必要はないですし
むしろその人と仲良くしなくてもいい、嫌われてもいいと思えていればそんなツイートが目に止まることすらないかもしれません。
人というのはそういう生き物なのです。
全く嫌われていないのに嫌われているんじゃないか、という気持ちから、全てが恐ろしくなってしまう時もあります。
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嫌われる人は好かれる人
実は嫌われる人は好かれる人です。
特定の人に嫌われる、ということは必ずその意見と反対の意見をもっている人がいますから特定の人に好かれる、ということでもあるのです。
だからこそ、誰かの意見に合わせるのではなく
自分の意見を発信し、きちんと表明することを心がけるようにしてみましょう。
嫌われることこそが好かれることへの第一歩なのです。
では今日はこのあたりで。