年齢は順番であり、誰にも等しく訪れるのが時間の経過ですから、
多くの人がいつかは自分の親の面倒を見なくてはいけなくなる時がやってくるでしょう。
しかし赤の他人の面倒を見るのとは違い、自分の親だからこそ、親の面倒を見ることが自分にとって大きな負担に感じてしまうこともあります。
今回は自分の親の面倒を見るようになった時に、注意しておきたいことについて書いていきたいと思います。
自分を責めない
まずは親の面倒を見るようになった時に絶対に自分を責めないようにしましょう。
どうしても自分の中で親というのは絶対的なもので、
自分を育ててくれた人ですから、自分よりも尊敬できる人でいて欲しかったり、頼れる存在でいて欲しい、という気持ちがあるものです。
親は偉大であれ。そう、子供は思ってしまう。
しかし年齢を重ねるとともにやはり人間少しずついろんなことが衰えていき、
性格も少し内向的になったりネガティブになってしまいやすくなります。
そうした時に自分の親なのにイライラしてしまったりすることが必ず出てくるはずなんですね。
そして必ず「自分の親なのにどうしてこんな風に感じてしまうのだろう」と自分を責めてしまうのです。
しかし、親の面倒を見る過程において、自分の精神がやられてしまっては元も子もありません。
そうしたストレスが積み重なってしまうと
自分がうつ病になってしまったり、精神的に参ってしまうこともあります。
自分にとって絶対的な存在だった親でも、やはり面倒を見る、という段階になれば
イライラしてしまうこともあるでしょうし、投げ出したくなってしまうこともあるでしょう。
自分が「薄情者なのかな?」と思わず、それは当たり前の感情なんだ、と思うようにしてみてください。
面倒を見られる側も、面倒を見る側も、申し訳なさや後ろめたさ、悲しい気持ちが襲ってくるのはごくごく当たり前のことなのです。
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無理をしない
親の面倒を見るとき、ついつい考えてしまいがちなのが「自分がなんとかしなければ」ということです。
例えば、兄弟姉妹がたくさんいる中の長男長女だったり、兄弟姉妹に比べて親と近い場所に住んでいる場合は、
どうしても「自分がやれることの方が多いんだから、自分がやらなくては」という気持ちになる人が多いでしょう。
しかしそういった義務感というのは絶対に自分への大きなストレスになります。
そしてそれは長く続きません。
面倒を見る側の人間が倒れてしまっては意味がないのです。
むしろ余計に手がかかってしまいます。
なので、自分ができることできないことはしっかり判断するようにし、
誰かに任せることができるものはなるべく誰かに任せて、自分の仕事が少なくなるようにしましょう。
施設やヘルパーさんの手を借りてもいいと思います。
それは決して薄情なんかではなく、専門の介護サービスを受けることは親にとっても良いことです。
自分一人で抱え込みすぎず、他人にも適度に任せる、ということを学びましょう。
違う人間だと理解する
たとえ親子であり、同じ屋根の下で暮らした一番の近親者だとしても、
親は自分とは違う年代の違う人間です。
仲が良かった親子にありがちなのが「どうしてあの頃は仲良く出来たのに今はできないんだろう」という気持ちになってストレスに感じてしまう現象なんですね。
しかし、親は自分とはずいぶん年齢も離れていて、
面倒をみてもらわないと生活ができないようになっている、ということは自分の老いを相当自分でも感じながら生きているはずです。
毎日自分の体が少しずつできないことが増えていく、という恐怖の中過ごしていたら
やはり性格や考え方も少しずつ変わっていくのが普通でしょう。
それを「昔はもう少し分かり合うことができたのに」と感じてしまうのは無駄に自分を責めることへ繋がってしまうんですね。
面倒を見られる段階になってくると、親は体も心も、昔のようにはいかなくなってきます。
ちょっとしたことが不安に感じたり、不快に感じたりすることもあるんですね。
だからこそ、面倒を見る側も、自分の親であっても、違う人間なんだ、という理解が必要です。
わかりあおう、共有したい、という風に思っていてはこちらが疲れてしまいます。
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「老い」への理解
今回は親の面倒を見る段階になった時に、少しでもストレスが軽減されるような考え方についてお話してみました。
自分が元気なうちには理解できないような感情というものが必ずあります。
自分の体がどんどん衰えていく恐怖や、楽しみがどんどんなくなっていく生活の中で過ごしている親を
自分が面倒みなくてはいけない、となるとやはりそこにどうしてもすれ違いは生じてしまうものです。
そういったものを責めすぎず、自分の感情を抑えすぎず、自分が倒れてしまわないようにうまく付き合っていくようにしましょう。
では今日はこのあたりで。