「また会おう」って割とどんな友達にも言うと思うんですよね。また、いつか会いたいなという気持ちをこめて、手を振って別れるわけです。
でも、「また会おう」が最後の言葉になる事だって本当はあるんですよ。また会いたいと思っていた人たちは、いつ目の前からいなくなってしまうのかもわからない。
本当はそんな存在だと思うのです。
幼馴染に会える事はなかった
あの時の事はよく覚えています。私がカラオケにいた時の事。
突然、普段は動かない小学校のラインに通知がきたのです。中身を見ると、「◯◯君が今朝、なくなりました。自殺でした。」という内容。
本当に信じる事が出来なかった。つい1ヶ月前までは一緒に遊んでいました。飲みにいく事もあれば、昔話に花を咲かせてみたり、
懐かしい話をしながら、「何か楽しいなあ」なんて思っていたんですよね。夏になれば、一緒に花火をすることもあったっけ。
しかしながら、その幼馴染と再び会える事はなかったのです。
原因は「自殺」という事だったけど、真相はわからない。なぜならその家は不思議なところで、幼馴染のお父さんは自殺に追い込まれ、
当時ニュースになったし、何だか違和感も感じるのです。まあここを追求していっても、真実は誰にもわからないから、仕方がないんですけどね。野次馬的に見るしかない。
そんな不思議な感じでいなくなってしまった彼だけれど、様々な疑問が湧いてでてくるのですが、それでも「また会おう」と言って別れた彼が戻ってくる事はないのです。
どんなに「本当にいなくなったの?嘘でしょう?」なんて言っても、ダメなんですよ。どれだけ今生きている人たちが「寂しい」と思っても、
一度死んでしまったら会える事はないのです。たった1度しか人間は死なない。でも、たった1度でも死んでしまったら、もう2度と会うことはないのです。
昨日まで会っていた人でも、素敵な人でも、優しい人でも死んでしまったらもう会えない。
あの時はつらかったなあ。また会おうなんて気軽に使っていたけど、まさか「また会おう」という言葉が脳内にこびりついて、
つらい思いをするなんて思っていなかったから。
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もう会えないかもしれないと思わないとね
私たちは、どんな友達と会う時にも「また会えるよね」と思っていると思うのです。また会えると思っているからこそ、別れが寂しくならないわけで、
明るく過ごす事が出来ているのかもしれません。
でも、「また会えるよね」という前提があるからこそ、私たちは人に優しく出来ないのかもしれないな、と思ったのです。
「また会おうね」と言ってきた人たちがこれから先もいなくなっていくわけです。もしかしたら事故に巻き込まれてしまうかもしれない。
病気になるかもしれない。殺人事件に巻き込まれてしまう可能性だってある。
原因はわからないけれど、いつか「また会おう」という言葉が最後の言葉になってしまう瞬間に出会ってしまうかもしれないのです。
そう思ったら、人に優しくなれると思うんですよね。最後の言葉かもしれないから、もう会えないかもしれないから、私たちは人に優しくするのです。
「また会おうね!」と言って、当たり前のように会えてしまう日常だって大切だと思います。私も出来る事なら、大好きな人たちとずっと一緒にいたいと思っています。
大好きな恋人と、素敵な家族と、友達思いの仲間と一生一緒にいたい、と思ってしまうよね。こんな時間が一生ずっと続けば良いのにな、と思ってしまう。
でも、人の命は永遠ではないし、いつかいなくなってしまうものなんですよ。
幼馴染にしても、私の父にしても、「死ぬ」なんて思っていませんでした。でも、今はいないのです。もう会える事はないのです。
朝、父親が家から出て行く時、少しだけ後ろ姿を見た。あれが最後でした。
だからこそ、もっともっと、私たちは「命」について考える必要があるのです。「また会おうね!」と言って、会えなくなる人々だっているのですから。
後悔のない人生のために
私の心の中には人よりも「後悔しない人生を送りたい」という感情が多く住み着いていると思うんですよね。何をするにしても、
「もうこれが最後かもしれない」
そう思いながら、毎日を過ごしているのです。夜寝る時には、毎日のように「自分の死ぬ時」を想像してしまう。いつも焦っている。「いつ死んでしまうのだろうか?」と。
いつからそうなったのだろうか?と思ったのですが、思ってみれば、
それは人の命に起因する事だという事に気が付いたのです。「また会おうね!」と言ってもう会える事のなかった人たちと同じように、
私たちの命はいつかは消えていくものです。いつかは死んでしまうものなんですよ。
だからこそ、私たちは「また会おうね」と言ってもう会えなくなってしまった人たちとの記憶から学ばなければいけないんじゃないですかね。
私たちがいつか消えてしまう時、どんな人生なら後悔しないのだろうか?最後にどんな空を見上げたら、「ああ、素敵な人生だった」と笑っていられるのだろうか。
どんな人生を送っていきたいのだろうか?と考えていくべきなのです。私たちの人生は自分で思っているよりも、ずっとずっと短いものです。
人生100年時代と言われるけど、それでも少ないよね。
後悔しない人生のために、どんな日々を過ごすのか?「また会おうね」と言って、会えなかった人たちの分まで生きていくべきなのですよ。
死んだ後の世界のことなんてわからない。だから、私たちは「今という現実」を大切に生きていかなきゃいけないのよ。
私は大学生の時に父を亡くしましたが、その時から今まで、ずっと「自分のやりたい事」だけを突き詰めて、実行していると思っています。
それは、私もいつか「あちら側の人」になってしまうから。いつかはいなくなってしまう私だからこそ、私は今を一生懸命生きているのです。
「また会おう」と言って、それが最後の言葉になってしまった人たちなんてたくさんいるけれど、私たちは、彼らの命の上で生きているのです。
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